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生じることも滅することもなく

舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。

舎利子よ、この諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減らず。
禅問答で、「真実とは?」という問いに対して「春夏秋冬」と答えることがあります。「空」は真実のあり方の表現の一つですから、「空とは?」という問いでも同様です。それが「春夏秋冬」だというのです。

いつからいつまで春で、いつからいつまでが夏で、いつからいつまでが秋で、いつからいつまでが冬なのでしょう。暦の上では、三月から五月が春で、六月から八月までが夏で、九月から十一月が秋で、十二月から二月が冬だと思います。ところが、最近夏が従来よりも暑い上に、暑い期間も長くなり、九月が秋などとはとうてい思えないことがあります。新潟では十一月の後半にもなるとしぐれる日が多くなり、十一月は冬なんでしょ、と子どもたちは主張したりします。どこからどこまでが夏だなんて、はっきりとはいえないようです。

春はどこに行ってしまったのでしょう。なくなってしまったのでしょうか。春が滅すると夏が生まれてくるのでしょうか。毎年毎年、春が滅すると、翌年には新しい春が生まれるのでしょうか。それとも春が夏に変わるのでしょうか。そうではないと思います。春は春、夏は夏です。春のときは春っきり、夏は夏っきりです。春はその時精一杯春で、夏は精一杯夏なのです。滅したり、生じたりはしません。

「春が来た」という童謡があります。「春が来た 春が来た どこに来た 山に来た 里に来た 野にも来た 」というのが一番の歌詞です。春が実体としてつかめるわけではないので、ただ「山に来た 里に来た 野にも来た」と歌うしかないのです。二番は「花がさく 花がさく どこにさく 山にさく 里にさく 野にもさく 」、三番は「鳥がなく 鳥がなく どこでなく 山でなく 里でなく 野でもなく」という歌詞です。春という実体はないので、春を花の咲くことと、鳥がなくことで表現しています。

春だ夏だというのは、空という立場からは見ればもともと存在しないのです。生じない、滅しない、不生不滅なのです。

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