「波羅蜜多」とは、サンスクリット語の「パーラミター」の音写語です。この語の文法的解釈については、高崎直道博士の簡潔にして的確な解説がありますので、以下に示してみます。
「最高の」「究極の」という意味をあらわす形容詞パラマの派生形の名詞パーラミ(最高のもの)のあとにターという抽象名詞をつくる語尾を附したもので、究極最高であること、究極性、究極最高の状態、完成態などと訳せる。しかし、中国や日本の伝統的教理解釈では「到彼岸」(彼岸に到れる)と解し、彼岸(向こう岸)に度る(渡る)という意味で、単に「度」とも訳す。これは梵語で、「彼方」とか、「他の」という意味のパラという語の派生形(パーラ)に目的格の語尾を加え(パーラム)、それに「行く」「達する」という意味の動詞の過去分詞形(イタ)を合わせてできた語形と解釈するものである。 (高崎直道『般若心経の話』)
つまり、「パーラミター」というのは、伝統的には「到彼岸」という意味に解されてきたが、最近の学問的成果によれば、それは「完成」の意味になるというのです。
しかし、結局この二つは同じことになると思います。智慧を完成するということは彼岸すなわち悟りの世界に到ることになりますし、彼岸に到るということは智慧が完成されているからこそ到ることができたのですから。
そこで、ここでは両方の意味を汲んで、「般若波羅蜜」を「彼岸に到る智慧の完成」と解しておきます。
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