「経」は、サンスクリット原典にはありません。もともとなかった末尾の文句を経題にしたわけですが、その末尾の文句に「経」という語はついていません。しかし、中国人はやはり最後に「経」がついていないとしっくりこないと考えていたようです。
ノンフィクションなどではなく、明らかに小説とわかる作品の題名に、「小説何某」としているようなもので妙といえば妙ですが、私たち日本人も明らかにお墓とわかっていても、「先祖代々之墓」と正面に刻しますから、要するに習慣ということでしょうか。
ところで、「経」は「たて糸」のことで、それが転じて「教えの基本線」という意味になり、「お釈迦様や賢人の教えを経と称するようになった」ということです。
私たちの人生を布地にたとえれば、実際の毎日の生活が横糸で、その生活を貫いてしっかりとした人生に織り上げるのが縦糸、すなわち「経」であるといえるのではないでしょうか。教えのない、正しいより所のない人生はつまらないものに終わってしまいかねません。
以上から、『般若心経』の正式名称「摩訶般若波羅蜜多心経」は、「偉大なる彼岸に到る智慧の完成の真髄の教え」とでも理解すればよいと思います。
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