舎利子つまり舎利弗は「智慧第一」と呼ばれた二大弟子のひとりです。もう一人は、目連(もくれん)あるいは大目犍連(だいもくけんれん)と呼ばれるお弟子で、「神通第一」と言われます。
舎利弗と目連はバラモンの出身で、仲のよい幼なじみでした。一緒に出家し、サンジャヤという懐疑論者の修行者のもとで修行していました。サンジャヤには二百五十人の弟子がいたと伝えられています。
ある日、舎利弗は王舎城で立ち居振る舞いの正しく清らかな感じのする修行者に出会います。アッサジといい、お釈迦様が鹿野園で最初に教化した五人の弟子の一人でした。舎利弗はアッサジの跡を付け、托鉢が終わってから声をかけます。
「あなたの師はどなたで、何を説かれているのですか」
「私の師はお釈迦様です。私はまだ弟子になって日が浅く、詳しく話すことはできませんが、師はこのようにいっておられます。すべてのものごとには原因があり、滅するものだ、と」
教えの一端がかいま見えるという程度の答えです。しかし、舎利弗はこれを聞いて悟りを開きます。先に不死を得たならばお互いに知らせよう、と目連と約束していましたので、早速友にこの経緯を知らせます。目連も悟りを開き、二人でお釈迦様に弟子入りします。この二人に従ってサンジャヤの二百五十人の弟子たちもお釈迦様の弟子となります。サンジャヤは悔しがって口から熱血を吐いた、と伝えられています。
ジャイナ教という現在でもインドで行われている宗教があります。仏教とだいたい同じ頃に成立し姉妹宗教と言われますが、その経典には舎利弗もブッダとして紹介されています。時にはお釈迦様の代わりに弟子たちに説法したり、教えの上での問題が起きると出かけていって解決したり、仏教外の宗教者に仏教の基本的な教えや実践方法を説いたりという役目をになっていました。
ところが、舎利弗は大乗経典ではときに批判の的として登場します。もっともひどいのは『維摩経(ゆいまぎょう)』でしょう。維摩居士(ゆいまこじ)が主人公のお経です。「居士」は、「家の主」という意味です。資産家で社会的な信用もあり、尊敬を集めていたような商工業者のことです。ところが、維摩居士は世俗の身でありながら仏道を極めていて、普段から仏弟子たちをへこましていました。
あるとき、維摩居士は方便で病気になります。お釈迦様が維摩居士のお見舞いに行くようにいうのですが、仏弟子や菩薩たちはなかなか首をたてに振りません。ようやく文殊菩薩が承諾し、お見舞いに行くことになりました。すると、これまで嫌がっていた大勢の仏弟子や菩薩たち、天人がぞろぞろとついていきます。
維摩居士の部屋に入ると、ひとりの天女が花びらを舎利弗はじめ仏弟子と菩薩たちにふりかけます。花びらは菩薩にはくっつかずに落ちますが、仏弟子たちにははりついてしまいます。仏弟子たちは必死に払い落とそうとしますが、どうしても落ちません。
天女が舎利弗にいいます。「あなたには執着があるから花びらが落ちないのです」
このように、舎利弗は天女にさえコケにされてしまいます。
大乗経典は、僧院深く自らの研究に没頭し、一般信者と離れてしまった部派仏教の僧侶たちを批判します。その象徴的な存在として舎利弗が攻撃の対象になったのです。
舎利弗は『般若心経』では『維摩経』のような批判の対象にはなっていません。しかし、何もわかっていないかのような質問者として登場します。『般若心経』でもやはり部派仏教が批判の対象になっていることがうかがえます。このことは後に詳しく触れることになります。
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