「五蘊(ごおん、ごうん)」とは、「五つの集まり」のことで、「私」はこの「五つの集まり」からできている、というのが仏教の存在に関する考え方の一つです。「○○寺△△世××□□大和尚、四大(しだい)不調のところ、薬石効なく遷化(せんげ)いたしました…」という出だしで住職の葬儀の案内をいただくことがあります。「…体調を崩し療養しておりましたが、残念ながら永眠いたしました…」というくらいの意味です。この「四大(しだい)」というのは、「地・水・火・風」の四つの要素で、これらが合わさって「身体」ができているという考え方です。「四大(しだい)」に「空」を加えて「五大」といい、これが万物の構成要素となります。これも存在に関する一つの考え方です。
「五蘊」という考え方は、「心のはたらき」に重点を置いたものと思います。「色・受・想・行・識」が、「五蘊」のそれぞれの集まり・要素で、「受」から「識」までの四つが、「心のはたらき」にかかわるものです。
- 色蘊…肉体
- 受蘊…感受作用
- 想蘊…表象作用
- 行蘊…意志作用
- 識蘊…認識、概念作用
初冬のある日、車を走らせていると、「ん、あれは何だ」と前方に広がる風景を見て思いました。雪をかぶった山並みの風景です。何度も見たことのある山並みなのですが、雪が積もって二王子岳(にのうじだけ)や飯豊山(いいでさん)、その前の赤谷の奧の山々がいつもと違う景色に見えたのです。「ん、…」という瞬間、何か見えたのだが、それが何なのかまだわからない瞬間の心の状態が「受蘊」です。その後、「ん、あれは何だ。や…」という、まだ明確にはそれがわからない瞬間が「想蘊」です。そして、「…雪をかぶった二王子や赤谷の山々、その後ろには飯豊山だ」という状態が「識蘊」です。はっきりとそれが何であるかがわかり、概念で判断していている状態です。「こんな美しい景色はめったにお目にかかれそうにない。写真を撮ろう」というのが「行蘊」です。(※飯豊山は新潟県と福島県、山形県にまたがる標高2000メートル級の山脈で、二王子や赤谷の奧の山々は、飯豊山の手前に位置する新潟県側の山々のこと)
「受・想・行・識」についての解釈は人によってまちまちです。細かいことに深入りしないほうがよいようです。喜怒哀楽に代表される「感情」と知識によって把握しようとする「認識」の複合体が「心」のはたらきの内容です。このはたらきを説明する仕方のひとつが「受・想・行・識」だと理解いただきたいと思います。
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