「空(くう)」というと「からっぽ」「何もないこと」などを連想されるでしょうか。「何もない」というと、「空(くう)」」というよりも「無(む)」といったほうがいいのかもしれません。ただし、禅語録や禅問答で「無(む)」というのは、「空(くう)」の意味だったりします。「からっぽ」というほうが「空(くう)」の意味に近いかもしれません。お茶がからっぽ、酒がからっぽ、財布がからっぽ、などという言い方です。心がからっぽ、なんて言い方をする人もいるようです。
「空」の原語はサンスクリット語で「シューニャ」といいます。数字の「ゼロ」の原語も「シューニャ」です。「ゼロ」を発見したのはインド人です。それがいつのことか、はっきりとはわからないそうですが、6世紀頃には知られていたと学者は推定しています。(吉田洋一『零の発見』)
「ゼロ」というのもおもしろい数字です。たとえば、私がコンビニでおにぎりを二つ買ったとします。200円だというので、一円玉を二つ、つまり2円出しました。するとレジ係は、「あと198円お願いします」というではありませんか。「ゼロ」は何もないのだから、200円=2円になるはずだ。私は内心しめたと思って2円出したのです。ダメか。残念。「あなた少しおかしいんじゃないの」と言われそうです。でも、「ゼロ」というのは「何もない、無」ではないのでしょうか。違うんですね。確かに、1とか2とかのようにあるわけではないから、200円ならば十円玉や一円玉を出す必要はないはずです。けれども、ないわけではないので200円は百円玉をふたつ出さなければいけなくて、一円玉ふたつではだめなんですね。
インド人が「ゼロ」を発見した理由を「空」と結びつけて考えている人もいるようです。『零の発見』の著者吉田洋一先生は、この説に反対しています。少なくとも、「空」と「ゼロ」の原語が同一であることから、同じような概念だと考えてよいのだと思います。「空」というのは、「あるのでもないし、ないのでもない」という存在のあり方です。
「空」と同じ意味を表す仏教の術語がいくつかあります。「縁起」「無常」「無我」です。いずれも仏教では最重要の概念です。これら三つのほうが仏教の最初期から使われてきました。
「縁起」は「縁(よ)りて起こる」ということです。私をはじめ、万物は時間的にも、空間的にも相互依存関係で成り立っているという考え方です。宇宙観といってもいいでしょう。たとえば、ここに一本の稲があります。この稲は春には一粒のお米で、そこに土、水、日光、養分、労力、時間、その他もろもろの条件が満たされて、秋には黄金色にたわわに実ったのです。稲は時間的な縁起の産物です。米という「原因(因)」に、土などの「助縁(縁)」がはたらいて、稲が生まれたのです。「因縁」は「縁起」の別の言い方です。
時系列として相互依存関係をたどって、お釈迦様は「無明」から最終的に「苦」が生じる仕組みを見抜きました。また、「無明]を滅することによって最終的に「苦」を滅することができることを理解して、お悟りを開かれたのです。
「帝釈(たいしやく)の網」という話があります。「帝釈」というのは映画『男はつらいよ』の主人公「寅さん」の故郷、「葛飾柴又の帝釈天」(題経寺)に祀られている「帝釈天」のことです。もともとはインドの神話に登場する「インドラ」という武勇神で、仏教の守護神として信仰されてきました。
帝釈天は世界を黄金の網で覆います。黄金のひもが交差しているところにはすべて宝石がついています。一つの宝石が輝くとその光が他のすべての宝石を輝かし、その輝きがまた他のすべての宝石を輝かします。このようにすべての宝石はお互いに輝きあっています。実は、宝石は一人ひとりの人間です。私たち一人ひとりはすべての人間、存在に関わり合い、今この時全世界に影響を与え、与えられているのです。
空間的な相互依存関係としての「縁起」がここには示されています。
「私」という存在は不安定な状態にあります。危機的な状況にあるといってもいいかもしれません。「私」を構成している無数の条件の一つでも変われば、「私」も変わってしまいます。
何年かぶりに会った友人と「いやあ、変わらないねえ」と言い合うのは、社交辞令か、懐かしさから出た感激か、といったところでしょう。向こうからオッサンが近づいてくるなあ、と思って、顔がはっきり見えるところまで来ると、同級生だということに気づき、ドッキリすることがあります。実際には「変わって」いるのです。私たちの年頃でも、そろそろ亡くなる者も出てきました。
これが「無常」です。あらゆる存在は「縁起」というあり方をしていて、現象から見れば「無常」なのです。
「我」とは、永遠不変の本体、変わらない主体など、さまざまな言い方ができます。具体的には、永遠の真理、唯一絶対の神などを考えていただければよいと思います。しかし、あらゆる存在は「無常」であり、「変わらない」ものなどありません。それが「無我」です。
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