「色即是空。空即是色。」は『般若心経』を知らない人でも知っている有名な句です。この句を含む「色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。」は、「色」と「空」との関係を述べています。サンスクリット語の原本では以下のようになっています。
この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。
実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。
(このようにして、)およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。
(中村元・紀野一義訳注『般若心経・金剛般若経』)
三段に分けて、「色」と「空」の関係について述べてあります。ところが、玄奘訳では二段にしか分けてありません。一段目を省略した形になっています。玄奘以後の漢訳では、三段に分けてあるものがあります。中インド、マガダ国出身の法月が七三八年に訳した『普遍智蔵般若波羅蜜多心経』では、「色性是空空性是色。色不異空空不異色。色即是空空即是色」となっています。智慧輪が九世紀中頃に訳した『般若波羅蜜多心経』では、「色空空性是色。色不異空空不異色。是色即空是空即色」となっています。
この三段は、同じことを強調していっているのだ、という考え方もあります。しかし、この短い経典でわざわざ挿入したのですから、三段それぞれは別な意味を持っていると考えたいと思います。ここでは中村元博士の解釈を参考にして、三段にもどしてその意味を自分なりに解釈してみます。
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