第一段は現実のあり方を示しているのだと考えます。私と私を取り巻く環境が空というあり方をしている。時々刻々変化し続け、滅したり、生じたりするものである、と現象として認識することです。
この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。
法月訳「色性是空空性是色」智慧輪訳「色空空性是色」玄奘訳にはない。
私たちの心は認識と感情の複合体です。その内の認識、つまり知識として、人間の体や物質、物体、現象は無常なものだと客観的にとらえるのです。自然の法則としてとらえるといってもいいでしょう。人間はいつかは死ぬものだと知識として知っているのは人間だけだそうです。「死」を知識としてだけとらえているのがこの段階です。
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