第二段は、感情的、情緒的に空なる現実をとらえているのだと思います。
実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。
「色不異空空不異色」
日本人は無常を「もののあはれ」として情緒的、詠嘆的にとらえてきました。『平家物語』の冒頭が代表的です。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき人も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。 (『平家物語』巻一)
「祇園精舎」は、スダッタという資産家がお釈迦様に寄進した仏教史上最初の寺院です。二大強国の一つ、コーサラ国の首都舎衛城の郊外にあったものです。スダッタは「よく施した人」という意味です。「孤独な人々に食を給する人」、漢訳では「給,孤,独,長,者(きっこどくちょうじや)」とも呼ばれた慈善家でした。彼は、二大強国のもう一方、マガダ国の首都王舎城に出張していました。そこで、ブッダつまりお釈迦様の噂を聞きました。夜明けにお釈迦様に会うために寒林に出かけます。
「寒林」は火葬場のことです。むしろ死体遺棄所といったほうがふさわしく、場合によっては半焼けの遺体や捨てられた腐乱状態の遺体などもころがっていたようです。瞑想に最適な場所とされていました。現代でも瞑想する修行者がおります。
スダッタ長者は説法を聴き、仏教の在家信者になります。その翌朝、彼はお釈迦様をはじめとする修行僧たちに食事を布施します。お釈迦様はスダッタ長者の申し出を受け入れ、雨安居を舎衛城で行うことになります。雨安居は、雨季の間一か所にとどまって修行をすることをいうのです。雨を避ける小屋が必要でした。
スダッタ長者は舎衛城にもどると精舎を建てる僧園に適した場所を探します。町から遠すぎず、近すぎず、静かな瞑想に適した場所です。ジェータ王子の園、ジェータ林が適当だと判断し、譲ってくれるように頼みます。
「金銭を敷きつめたとしても、僧園として譲るわけにはいかない」と断られます。「買う」「売らない」の押し問答の末、司法大官に判断を委ねます。「『金銭を敷きつめたとして』と価格を決めたから売らなければなりません」スダッタ長者は黄金を敷きつめ買い取ります。ただならぬ長者の行為を見て、門の所はジェータ王子が寄進し門を作ります。こうしてできたのが祇園精舎です。
当時は鐘はありませんでした。現在はその遺跡の近くに永平寺の七十六世秦慧玉禅師が寄進した梵鐘があります。
「娑羅双樹の花の色」の「沙羅双樹」は、お釈迦様がその間に横になり亡くなられたクシナガラの「沙羅双樹」のことです。
お釈迦様が過ごされた祇園精舎の鐘の声はこの世の真理である無常を思い起こさせる。お釈迦様が亡くなられた沙羅双樹に咲く花の色は、どんなに栄華をきわめた者でも必ずおとろえることを表している。立場を利用して自分勝手な振る舞いをする者も長続きはせず、春の世の夢のようにはかないものだ。強く勇ましい者も最後には滅びてしまう。風に吹き飛ばされる塵のようなものだ。
このように解説するまでもなく、権勢をふるった平家の滅亡を仏教の「無常」という教えに照らし、ものの「はなかさ」「あわれ」を表現したものです。日本人は、長い間「無常」を情緒的にとらえ「無常感」として感じてきました。他人事として嘆くという態度です。「この若さが永遠のものであればなあ。しかし、移ろいゆく無常なものなのだなあ。無常なものというのが、若さなんだなあ」というわけです。
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