アメリカがフセイン政権を倒し、フセイン元大統領の身柄も拘束されましたが、イラクにはなかなか真の平和がやってきません。アメリカの統治に反対する人々のアメリカ軍などに対する攻撃がやまず、アメリカの兵士や民間の外国人が犠牲になっています。イラクの一般市民も巻き添えになっているようです。アメリカにはアメリカの、それに反対するイスラム勢力にはイスラム勢力の正義があり、それぞれ自分たちの正義が絶対だと思い込んでいるのでしょう。
「彼、われをののしり 彼、われをうちたり 彼、われをうちまかし 彼、われをうばえり」
かくのごとく こころ 執する人々に うらみはついに 熄(や)むことなし
「彼、われをののしり 彼、われをうちたり 彼、われをうちまかし 彼、われをうばえり」
かくのごとく こころ 執せざる人々こそ ついにうらみの 止息(やすらい)を見ん
(『法句経』三、四。友松圓諦訳『法句経』)
やられたことに執着していてはうらみが消えることはない、執着しなければうらみは消え去る。正義も相対的なものです。極端なことをいえば、百人いれば百人の正義があるのです。「空」はものごとが絶対ではなく、相互依存関係にあることを示しています。自分の正義に執着してはなりません。永遠に平和は訪れないでしょう。
浄(不垢)と不浄についても同様です。浄と不浄の概念はしばしば食のタブーと結びつきます。ヒンドゥー教徒は牛を神聖視し牛肉を食べません。イスラム教徒は豚をけがれたものとし、豚肉を食べません。このタブーがきっかけとなってイギリスの植民地支配に対してセポイの反乱が起きたことは有名です。
セポイは、イギリス東インド会社のインド人傭兵のことです。反乱は、東インド会社が新たに採用した銃の使用方法が直接のきっかけとなりました。この銃は、弾丸を込めるときに弾薬を包んでいる紙をかみ切らねばなりませんでしたが、その紙には牛と豚の油脂が塗られていたのです。
セポイはこの銃の受け取りと使用を拒否し投獄され反乱が起こります。一八五七年五月のことでした。反乱は北インド全域に波及しますが、翌一八五八年八月にはムガール皇帝がとらえられ、反乱鎮圧とともにムガール帝国が滅亡します。
浄不浄の概念はこのように人間の行動に大きな影響を与えます。合理的な理由のあることもありますが、あくまでも人間が作り上げた概念です。寄生虫の研究で有名な藤田紘一郎博士は、「ほんとうにサナダ虫は美しい。かわいいとさえ思う。僕はサナダ虫に恋してしまったようだ」と書いておられます。サナダ虫をきたない、気持ち悪いと思う人は多いでしょうが、美しいと思う人は多くないと思います。私たちの見方によって浄不浄の概念は180度違ってしまうのです。
「空」という真実からは、浄(不垢)も不浄もないのです。
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