人の評判を気にする人がいます。まったく気にならないというのも困りますが、気にしすぎると何にもできなくなってしまいます。
ある人が立派なご住職だ、と誉めておられましたよなどと知人から聞かされることがあります。お尻がむず痒くなってきて、外もおちおち歩けない、と思うことがあります。誉められるような僧侶ではないことを私自身が一番よく知っているからです。翌日になるときれいさっぱり忘れてしまいますから、気にせず出かけ、ぶつぶついいながら自動車を運転しています。
誉められようが、けなされようが、私自身には変わりがありません。誉められると貯金が増えて、けなされると減ってしまうのであれば、何か対策をたてなければなりません。そんなこともありませんので、悠々としていればよいのです。
昭和の名僧沢木興道老師は「自分が自分を自分する」といわれました。私の師匠の口癖でもありました。自己の存在価値を自己に見いだして生きるということです。一切の社会的関係を取り外してしまうことです。高校の同窓会で、会場に遅れて入ってきた人が高校時代の恩師の姿を見つけて「あー、先生」といったら、全員が振り向いたそうです。つくづく人間は地位や名誉が好きなんですね。しかし、本来の自分の価値とは無関係です。地位がどうであれ、名誉がどうであれ、評判がどうであれ、真実の自己の価値が増すことも、減ることもありません。
還暦になって命が減ったとお考えでしょうか。それはわかりません。なぜならば生命とは今、現実に生きているこの時しかないのですから、昨日まで使ってしまった生命はありませんし、明日から使えるはずの生命もありません。命が増すことも減ることもありません。
お金を使ったから貯金が減ってしまった。通帳の残高は数字が小さくなっているでしょう。しかし、それは貨幣という尺度ではかった価値です。貯金を使って旅行に行ってきたのならば、旅行という尺度ではかった価値が同じだけ増えているはずです。旅行も終わってしまったから、その尺度ではかった価値も減ってしまった。その分、思い出が増えています。減った増えたというのは、ある尺度の上での話です。私という主体がある尺度で客体を評価・認識するとき、増えた減ったというのです。「空」は主客を超越した、あるいはまだ分かれていない真実の世界です。そこでは増えることも減ることもありません。
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