是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻。舌身意。無色声香味触法。無眼界乃至。無意識界。無無明亦無無明盡。乃至無老死。亦無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。
この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も職もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もなし。眼界もなく、乃至、意識界もなし。無明もなく、また、無明の尽くることもなし。乃至、老も死もなく、また、老と死の尽くることもなし。苦も集も滅も道もなく、智もなく、また、得もなし。得る所なきを以ての故に。
無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。
苦も集も滅も道もなく、また、得もなし。得る所なきを以ての故に。
まず、「苦集滅道」が「無い」とあります。「苦集滅道」というのは、「四諦(したい)」「四聖諦(ししょうたい)」あるいは「四諦八正道(したいはつしょうどう)」のことです。四聖諦は、お釈迦様が鹿野園(ろくやおん)において五人の修行者たちにはじめて教えを説いたとき(初転法輪(しょてんぽうりん))の内容といわれています。この「諦」は、現代では「あきらめる。断念する」の意味に使っていますが、もともとの意味は「あきらか。あきらかにする」ということで、ここでは「真実。真理」の意味です。四つの浄らかな真理というのが、四聖諦の意味になります。
- 苦諦…一切皆苦、人生は苦であるという真理
- 集諦…苦集諦、苦の原因は自我欲望であるという真理
- 滅諦…苦滅諦、苦の原因を滅すれば苦がなくなるという真理
- 道諦…苦滅道諦、苦を滅する道。内容は八正道
人生は本質的に苦であり、苦の原因は自我欲望である。自我欲望を滅すれば苦がなくなるが、自我欲望を滅するためには実践修行が必要で、その内容は八正道である、ということになります。八つの項目は次のとおりです。
- 正見…正しい見解、人生観
- 正思惟…正しい思考
- 正語…正しい言語的行為
- 正業(しようごう)…正しい身体的行為
- 正命…正しい生活
- 正精進…正しい努力
- 正念…正しい意識、注意
- 正定…正しい精神統一
八正道は「八支聖道」ともいわれ、本来は悟りにいたるための修行者の実践修行の基準のひとつですが、一般社会の日常生活にも適用できるものと思います。
「正見」は真実にもとづいて生き方を見るということです。具体的には、仏教の根本の教えである無常、無我、縁起、空などを人生の基準として受け入れ、それにもとづいたものの見方をすることです。
「正思惟」は考えること、「正語」は話すこと、「正業」は行動を、正見にもとづいて、日常生活において最善のやり方で行うことです。
正思惟、正語、正業を実践し続けている生活が、正しい生活で「正命」ということになると思いますが、それには規則正しい生活が必要です。
規則正しい生活を送っていくためには、断固とした、ねばり強い、あきらめない気持ちが不可欠で、それは正しい努力、「正精進」によってしか実現されません。
「念」は、つねに心にとどめて注意しているという意味ですから、八正道にもとづいた実践が行われているか、ということをつねに頭におき、注意していることが「正念」ということになります。
「正定」は具体的には、「禅定」つまり坐禅を実践することです。心を落ち着かせ、静止することによって、自己および自己を取り巻く環境をしっかりと見つめることという理解でよいと思います。「正定」によって自分が八正道を正しく行っているかの評価ができます。
このように、八正道のそれぞれの項目は独立したものではなく、たがいに関連しています。また、正しさも絶対的なものはなく、その人の能力や立場、年齢などの条件によって異なる場合がある相対的なものです。はずしてはいけない原則はありますが、具体的な八正道の解釈は個人個人の裁量に委ねられることになります。
例として、「私の」八正道を示してみますと次のようになります。
- よく本を読み、よく人の話を聞いて、信念にもとづいた人生哲学をもつ…正見
- よく考え、極端な考え方は避ける…正思惟
- 不必要なおしゃべりをせず、自慢したり、他人をけなしたりしない…正語
- きちんとした服装や頭髪を心がけ、時と場合に応じた立ち居振る舞いをする…正業
- 早寝早起き、規則正しい食事の時間、腹八分目、適度な飲酒を心がける…正命
- 半年、五年、一生かけて達成する目標を設定し、ねばり強くあきらめずに努力する…正精進
- いつも注意してまわりにも気を配る…正念
- 最低でも毎日十分間、週に一時間は静かに自らを振り返り反省する…正定
『般若心経』では、お釈迦様の教えの根幹ともいえる四諦八正道もないというのです。
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