般若波羅蜜多にもとづく「空」の実践、般若波羅蜜多を身につけた「空」なる生き方の実例を上げておきたいと思います。
原坦山(たんざん)(一八一九〜一八九二) という曹洞宗の僧侶がおります。江戸から明治時代に活躍し、多くの逸話を残していますが、東京帝国大学印度哲学科の初代講師や曹洞宗大学林総監をつとめました。
坦山は若い頃、修行仲間と諸国行脚の旅に出ていたことがありました。ある雨上がりの日、橋のない小川にさしかかると若い娘が増水した小川を渡れずに困っているところに出くわしました。すると、坦山は躊躇なくその娘に「私が渡してあげよう」と声をかけると、サッと抱き上げて向こう岸に渡してやりました。お礼をいう娘を後にして、何ごともなかったようにまた二人で歩きはじめました。しばらく行くと連れの修行仲間が「お前よくも女を抱いたな」と坦山を問いつめました。この修行仲間は戒律を守ることを修行の眼目にしていて、戒律の中に女性に触れてはいけないという条項があるのです。すると坦山は「何だ、君はまだあの娘を抱いていたのか。わしはあのときに下ろしてしまったぞ」と呵々大笑したということです。
修行仲間を、後に永平寺貫首になった久我環渓あるいは総持寺貫首になった栴崖奕堂としたり、小川ではなく大きなぬかるみであったとするものや、娘を抱いたのでなく背負ったとする話があったりと、このエピソードにはさまざまなバリエーションがあります。いずれにせよ、持戒堅固の修行仲間に非難を受けるのは承知の上で坦山が、困っている娘のためにあえて戒律を破ったという話です。
戒律を守ることは、仏教の修行の上で重要なことです。ただし、戒律は悟りを得るための、あるいは修行者として正しく生きるための手段であって目的ではありません。女性に触れることが淫欲を刺激し、煩悩となることを未然に防ぐために、女性に触れてはいけないという戒律があるのです。もしも娘を向こう岸に渡してくれるような人がその場にいたのならば、坦山の行為は完全な破戒になるでしょう。しかし、そのような存在がおらず、困っている娘を助けてやれるのが坦山だけならば、実質的には破戒にはならないと思います。慈悲の心の実践であり、淫欲という煩悩は微塵も起こしていないからです。坦山は抱いていながら抱いていなかったのであり、その娘を抱いていたのは同行していた修行仲間の方だったと思います。
さらに重要なことは、坦山は上に述べたようなことを頭の中ですばやく考えて結論を出し、娘を向こう岸に渡したのではないだろうということです。ごく自然にただできたのだろうと思います。般若波羅蜜多にもとづく「空」なる実践とはこのようなことだと思います。
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