お経はいつ作られたのでしょうか。
こんなことをいいますと、怪訝な顔をされる方がおられると思います。お経というのは、お釈迦様の教えなのだから、当然お釈迦様がこの世に生きておられた時代にできたはずだ。したがって、それは紀元前4、5世紀の頃に決まっているではないか、と考える方がおられると思います。
しかし、これは二つの点で間違っています。
まず、すべてのお経がお釈迦様のお説きになったものとは限らないのです。ただし、インドで作られたものだけがお経であり、中国で著されたものは「\kana{偽}{ぎ}経」と呼んで区別いたします。
インドの仏教史は、学者によりさまざまな分け方がなされていますが、以下に一例を示してみます。 (立川武蔵『般若心経の新しい読み方』)
・紀元前五〇〇年頃〜 原始仏教の時代
・紀元前三五〇年頃〜 部派仏教の時代
・紀元前後一世紀〜 大乗仏教・部派仏教並立の時代
・七世紀〜 密教の時代(〜一三世紀)
原始仏教の時代に原型が成立したお経が原始仏典といわれ、この中にはお釈迦様が弟子や信者たちに直接口づてに説かれたものが含まれています。しかし、大乗仏教の時代に作られた大乗仏典や密教の時代に作られた密教経典には、お釈迦様が直接説かれたものは存在しません。
この点について、江戸時代の国学者富永仲基は、大乗仏典はお釈迦様が説いたものではないから仏説ではない、つまり大乗仏教は仏教ではないという「大乗非仏説論」を展開して、仏教を批判しています。
それでは、大乗仏典は本当に非仏説で、仏教ではないの でしょうか。「仏」、「仏陀」をインドの原語では「ブッダ」といいます。ブッダというのは、「目覚めた」という意味で、「真実に目覚めた」人がブッダと呼ばれるのです。ですから、ブッダは本来普通名詞なのです。お釈迦様はブッダの一人であり、そのほかにもたくさんの無名のブッダがいたとしてもおかしくないはずです。大乗仏典はこうした無名のブッダがその時代その風土に合った説き方表現によって、お釈迦様が悟られたと同じ真実を説いたものですから、仏説であり、仏教であると考えてよいと思います。つまり、無名のブッダたちは、自分たちはお釈迦様の悟られた真実と同じ真実に到達したのだという確信の上に立ち、「仏説」ということばを使ったのです。
また、原始仏典も、お釈迦様在世当時に文字として記録されたわけではなく、それはどんなに古く見積もっても紀元前五〇年よりも古いことではありません。したがって、紀元前四、五世紀から紀元元年頃までは、教えは記憶によって伝承されてきたのです。文字で記録されるようになってからも、数百年の間、書き直されたり、書き加えられたりして現在に伝わっている形になったのです。
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