それでは、元々の『般若心経』はいつ頃作られたのでしょうか。
前節で見たように、現存するテキストで最古のものは、鳩摩羅什(くまらじゅう)訳『摩訶般若波羅蜜大明呪経』一巻で、四〇二年から四一三年の間に翻訳されたものです。したがって、『般若心経』は遅くとも五世紀の初めには作られていたということになります。
ところで、『般若心経』は般若経の一種です。般若経というのは、ひとつのお経をいうのではなくて、そのほとんどは題名に「般若波羅蜜」ということばを含む一群の経典類のことです。般若経は、大乗仏教の先駆経典であり、長い期間にわたって作られました。
梶山雄一博士は、イギリスの般若経研究家エドワード・コンゼの説を参照しながら、形式の上から次のように般若経を分類しておられます。(梶山雄一『般若経』)
(一)基本般若経 『八千頌般若経』西紀前後〜五〇年ころ。
(二)拡大般若経 『十万頌般若経』『二万五千頌般若経』『一万八千頌般若経』など。 (一)の実質的内容はあまり変えないで、文章を敷衍増広して長大化したもの。後一〇〇〜三〇〇年ころ。
(三)個別的般若経 『金剛般若経』『善勇猛般若経』『般若心経』など。(一)、(二)と形式のうえで関係をもたないもので比較的短い経典。後三〇〇〜五〇〇年ころ。
(四)密教的般若経 『理趣経』その他。後六〇〇〜一二〇〇年ころ。
ここで注意していただきたいのは、最古とされている『八千頌般若経』は、現存しているサンスクリット原典とは異なるということです。現存のサンスクリット原典は、六四五年から八〇〇年の間に成立したものであって、最初の『八千頌般若経』は一七九年に支婁迦讖が漢訳した『道行般若経』に相当するものとされています。(梶山雄一『般若経』)
これによれば、『般若心経』は紀元三〇〇年から五〇〇年の間に作られたことになります。そういたしますと、上述の鳩摩羅什訳の成立年代を考慮に入れれば、紀元三〇〇年から四〇〇年の間に成立したと考えてよいようです。さらに立川武蔵博士は、紀元三〇〇年から三五〇年くらいの間の成立であると期間を限定されておられます。古代インド史においては百年くらいのずれは誤差の範囲ですし、絶対年代を設定することは事実から遠く離れてしまう危険性も否定できないともしばしばいわれておりますので、成立年代に関しての考察はこのくらいでじゅうぶんだと思います。
そこで、次に『般若心経』がどのように作られ、変化したかについて考えたいと思います。
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