弘法大師空海は、『般若心経』は『大般若波羅蜜多経』六百巻の意を取り略説したものだといっています。 (金岡秀友校注『般若心経』)『大般若波羅蜜多経』(以下『大般若経』と略称)は玄奘三蔵法師が翻訳したもので、それまでに知られていた般若経をすべて集めて翻訳したものです。いわば 般若経の百科全書ともいうべきものです。私ども曹洞宗でも、大般若会(え)という法要において『大般若波羅蜜多経』六百巻の折り本になっている一巻ずつを蛇腹のように開いて転読をいたします。決まった唱えものをしながら、作法にのっとって転読するわけで、これは実際に読んだと同じ効力を有すると信じられています。その力で、順調な天候や世界平和、家門興隆などを祈願するのです。
また、中村元・紀野一義訳注『般若心経・金剛般若経』では、『般若心経』は大きな般若経典の中から一部を取りだし、前後の句を付加して作ったものと考えられるとし、例として鳩摩羅什訳の『摩訶般若波羅蜜大明呪経』が同訳の『摩訶般若波羅蜜経』(以下『大品(だいぼん)般若経』と略称)の一文にほとんど一致しているが、これに相当する玄奘訳『大般若経』の部分とはかなり違っていることも指摘しています。鳩摩羅什訳と玄奘訳はよく似ていてほとんど違いはありませんので、当然玄奘訳の『般若波羅蜜多心経』ともかなり違っています。つまり、般若経の百科全書『大般若経』には『般若心経』は入っていないということです。
以上を手がかりに、『般若心経』の成立の事情を推測してみましょう。
まず、『八千頌般若経』が成立し、それを増広した『十万頌般若経』、『二万五千頌般若経』、『一万八千頌般若経』などが作られました。鳩摩羅什訳の『摩訶般若波羅蜜大明呪経』の中心部分は同訳の『大品般若経』の一部分と一致していますが、『大品般若経』は『二万五千頌般若経』系の原典からの翻訳 (三枝充悳『般若経の真理』、梶山雄一『般若経』)ですから、まず『般若心経』の原典はこれら拡大般若経系の原典から中心部分が取り出され、前後の部分が付加されて作られたのであろうと推測されます。
その後、『般若心経』が小本のような形で単独の経典として確定すると、次に経典としての形式が整えられていったのだと考えられます。
お経の叙述形式に「六事成就」と呼ばれるものがあります。『法華経』の冒頭を例にしますと以下のようになります。
かくの如く(=信成就)、われ、聞けり(=聞成就)。一時(=時成就)、仏は(=主成就)、王舎城の耆闍崛山の中に住したまい(=処成就)、大比丘衆、万二千人と倶なりき(=衆成就)。 (坂本幸男・岩本裕訳注『法華経(上)』( )とその中の語句は筆者の加筆)
このような六つのことがらが完備されれば、お経の形式が完成するということです。
また、お経の最後は次のような形で終わるのが一般的です。これも『法華経』を例にしてみましょう。
仏、この経を説きたまいし時、普賢等の諸の菩薩と舎利弗等の諸の声聞と及び諸の天・竜・人・非人等の一切の大会は皆、大いに歓喜し、仏の語を受持して礼を作して去れり。 (坂本幸男・岩本裕訳注『法華経(下)』)
ちなみに、このような終結部分を「流通分(るづうぶん)」、本文を「正宗分(しょうしゅうぶん)」、上で見たような冒頭の部分を「序分」といいます。
もちろん、すべてのお経がこのような形になっているわけではありませんが、「序分」「正宗分」「流通分」という形で構成されるのが一般的なお経のスタイルであり、よく整備されたものと考えてよいのだと思います。小本に「序分」と「流通分」を付け加えたのが大本であり、大本の成立によって『般若心経』というお経が、形式の上で完成されたのだということにすでにお気づきでしょう。
漢訳の『般若心経』が、成立の古い二本が小本で、後のものがすべて大本であることからも裏付けられます。
それでは、なぜ『般若心経』が作られたのでしょうか。
筆者の勝手な想像ですが、拡大般若経があまりに長大化潤色され過ぎたため、もっと単純簡潔な経典が求められたからではないでしょうか。そして、後代まで読み継がれたのは大本系のものではなく、玄奘訳の小本だったのは、やはり翻訳がすぐれていたからだと思います。
ただし、鳩摩羅什訳と玄奘訳は甲乙つけがたく、優劣を決められるものではありませんが、内容もほとんど一致していますから、どちらを読んでも差し支えはなかっただろうと思います。しかし、結局玄奘訳が後世よく読まれるようになったのは、翻訳が新しく、その訳語が術語の用法上統一がとれ、体系的であったからだと思います。一度採用されると、たとえそれが最善のものでなくてもそれ以後独占的にその地位を占めることは他の分野でもよく見られることです。
中国仏教史上、四大翻訳家と呼ばれる四人のすぐれた訳経家がおります。鳩摩羅什(三四四〜四一三あるいは三五〇〜四〇九)、真諦(しんだい)(四九九〜五六九)、玄奘(げんじょう)(六〇〇〜六六四)、不空(七〇四〜七七四)の四人です。『摩訶般若波羅蜜大明呪経』の翻訳者鳩摩羅什の翻訳は、正確流麗で、旧訳(くやく)の代表です。『法華経』や『金剛般若波羅蜜経』など、現在読誦されている多くの経典は鳩摩羅什が翻訳したものです。玄奘の翻訳は新訳と呼ばれ、その特徴は術語の使用に関して、統一され、体系的であることです。般若経の百科全書と呼ばれる『大般若経』も玄奘の翻訳であり、仏教を研究するものにとっては、玄奘訳を学ぶことがもっとも好都合だったという事情もあったことと思います。
以上、『般若心経』の文献的、歴史的な面について簡単に見てきました。あまり興味のない方もおられたと思いますが、筆者としては、自分なりに『般若心経』の文献的、歴史的な位置を確認したいという意味もあり、あえて簡単に述べてみました。
もっと詳しく知りたいという方は、巻末の参考文献をお読みください。
←『般若心経を読む』の目次へ戻る
Copyright (C) 2005 般若心経ドットインフォ All Rights Reserved.
※当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます。